牧師室より

 労働運動や市民運動の世界で、若い人たちが、新しい発想で運動をはじめることが珍しくなくなってきた。戦後労働運動や学生運動の影響から解放された、という意味での「新しい発想」である。ここ数年、キリスト教をとりまく状況でも、同じような変化が生じている。音楽や漫画など若者文化とされているジャンルとキリスト教を結びつける動きがある。

 たとえば、今までの「常識」を超えた讃美歌。ロック系讃美歌を作詞作曲し、自ら歌う、若い宗教者バンドが登場した。また教会の中で軽音楽のユニット(教会学校つながりの仲間で)を結成して、音楽活動をし、インターネットで、新しい讃美歌を配信している人たちもいる。

 このような若者たちの活動を知らされる時、神様を賛美するのに、決められたルールはないのだ、ということを教えられる。

 上記の音楽活動に近いと思うのが、サブカルチャー(アニメ、マンガ、ゲームなどのポップカルチャーの別称)に注目する若い牧師(教師)が増えた点だ。日本のマンガは、すでに日本の主要な「輸出産品」と言われて久しい。世界的規模で支持者を獲得しているので、もはや「サブ」ではなく、「メインカルチャー」と呼ぶのがふさわしいのだろう。

 今年のキリスト教書店が選ぶ「本屋大賞」のひとつは、『ポップカルチャーを哲学する−福音の文脈化に向けて』(著:高橋優子、新教出版社)。著者の高橋氏(酪農学園大学准教授)は、その前書きとして書かれた「総論」において、「パウロは宣教において『ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになり』『すべての人に対してすべてのものにな』ったと言っている(一コリント9:20-22)。私たちもそうするべきではなかろうか」と発している。つまり「サブカルチャー」に注目することが、キリスト教業界においても必要なのではないか、という提案なのだ。なるほど、と思う。

 これまでの日本におけるキリスト教の歩みを点検することは重要だが、過去にだけ目を向けるのではなく、私たちがこれまで想像だにしなかった新しい形で、大胆に、何かをはじめることは、まだ十分に可能であることを考えさせられた。 (中沢譲)