牧師室より

台風21号が関西方面を中心に猛威をふるい、大きな影響が続いているうちに、こんどは北海道で大きな地震がおきた。それぞれ被災された方々のご苦労を思うと同時に、救助・救護や復旧作業のために働く方々の疲弊も心配になる。台風で海上人工島の国際空港が孤立状態になったことも、地震で全道停電が発生したことも、日ごろ私たちが依存しているインフラ(infrastructure、基盤構造つまり公共的・公益的な設備・施設)が、意外に脆弱なことを示した。

 一方で、東日本大震災の頃から感じるのは、災害の現地映像が、即時的にメディアに流れる時代になったことだ。しかも、一般の人々がスマートフォン等で撮影した画像も多い。生活者目線での災害情報は、貴重だ。ただ同時に、メディアは当然、視聴者から多数送られてくる画像の中から、衝撃度や公共性の高いものを取捨選択して放映しているはずだ。衝撃的な画面の連続にくぎ付けになり、思考停止して「見る」ことだけに依存してしまいがちだ。

実は、過去の様々な被災現場でも、今とあまり変わらない破壊や悲惨の状況はあったが、それらは映像に記録されなかったり、あったとしても放映されることがなかっただけだ。また、今回の二つの災害では、現場は停電となり、肝心の当事者には、そうした情報は届きにくかったはずで、その点でも、ただ「見る」ことだけに時間を奪われていては申し訳ないような気にもなる。メディアによって、危機感が広く共有されることはよしとして、では知ったことから、何を学び取り、どう行動するのか。驚きや同情だけでなく、冷静な判断が求められている。(中沢麻貴)