牧師室より

『この世界の片隅に』(作:こうの史代、双葉社2008)という漫画をご存じだろうか。2016年にアニメーション映画が全国公開され、話題になった。実写版では、日本テレビが「終戦記念スペシャルドラマ」(主演:北川景子2011)として放送。TBSが現在「日曜劇場」(主演:松本穂香2018)として放送中だという。アニメもドラマも拝見していないが、漫画を手にいれることができた。余談だが、アニメーション映画は63館の映画館で上映が予定されていたものが、380館に拡大されたという。

 作者のこうの史代氏は、広島市の出身(1968年生)。大学を中退し、漫画家のアシスタントを経験したのち、独立。最初に注目された作品は、『夕凪の町 桜の国』(2004)である。原爆を扱った3部作となっている(『夕凪の町』は、被爆して10年後の原爆症に苦しむ女性を描いた作品。『桜の国』は第1部と第2部に分かれていて、いずれも被爆2世の女性を描いた作品)。この3部作は読者に静かに影響を与えたようだ。調べてみると、すでに実写版の映画(2007)とドラマ(NHK 2018)が制作されている。それ以外にも、女子高校生による「一人芝居」上演や、広島市内でのプラネタリウムのイベント企画なども、この原作をもとに行われたようだ。3部作のいずれもが、原爆を中心に描いたのではなく、被爆を身に負いながら、日常を生きる人たちの姿を描いた作品だという。そういう静かな物語の流れが、読者の心を捉えたのかもしれない。

作者のこうの史代氏を「原爆作家」と評価する声もあったようだが、そのことに作者は違和感を覚え、「原爆以外の死、戦争全体にもう1回向き合わなければバランスが取れない」という思いに至って、今度は原爆が落とされた広島ではなく、軍都であった呉を舞台にした『この世界の片隅に』の制作に着手したという。

こうの史代氏の作品は、『この世界の片隅に』しか読んでいないが、反戦作品にアレルギーがある人も読める作品であると思う。なぜならば戦時中の人々の生活を、淡々と描いただけの作品であるからだ。しかしながら、この世的な力に媚びない、自由な作品でもある。ゆえに、そこには自ずと作者の思いが透けて見える。

作者はインタビューに答えて、いくつかのことを語っていた。「戦争によって、どのような日常が奪われたのか、ということを描きたかった」と。主人公、“北條すず”は、空襲によって右手を失う。彼女は絵を描くことが好きだったので、諦めずに左手で絵を描き始める。作者は、この右手を失った“すず”の描く絵を表現するために、自身も左手で、“すず”が描く絵を、表現したという。印象に残ったのは、「私は戦後世代。だから原爆を描く義務がある。そして権利がある」と語った作者の言葉だ。お薦めの作品である。 (中沢譲)