◇牧師室より◇
翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事が亡くなられた(8月8日、享年67歳)。膵臓がんであった。今年の4月25日に手術を受け、5月15日、公務に復帰。7月30日に再入院した際、がんが肝臓に転移したことが判明した。8月7日から意識混濁との報道があり、心配されていた矢先のことであった。現職の知事が任期中に亡くなるのは初めてとのこと。最後にテレビ中継で見た姿は、沖縄県庁での記者会見(7月27日)であった。「今後もあらゆる手法を駆使して新基地は造らせない」と、辺野古での新基地建設に反対する決意を力強く語っておられた。すでに痩せ細っていたが、その目には固い決意が示されていた。最後まで闘いの中に身を置かれた方であった。基地建設中止に追い込むことができず、さぞや無念であったと思う。今は天にあって、平安が与えられていることを無力ながら祈るばかりである。
しかし何故、「戦後73年」経過した今も、沖縄は基地建設反対を闘わなくてはならないのだろうか。
沖縄公文書館に「天皇メッセージ」という、米国国立公文書館から収集された文書が公開されている(公開日2008年3月25日)。
一部を紹介する。「日本国天皇は沖縄に対する米国の軍事占領が25年ないし50年あるいはそれ以上にわたって続くことを希望する。それが日本の防衛に役立ち、かつアメリカの利益になるだろう」(高橋哲哉訳、参考:高橋哲哉『沖縄の米軍基地「県外移設」を考える』集英社新書)。この「メッセージ」は、筑波大学の新藤榮一氏が、1979年に米国で発見したものである。沖縄公文書館の説明文には「宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモ」とある。この文書は、昭和天皇が沖縄を犠牲にして“命乞い”をした文書として、天皇制問題を考える人たちの間で知られている。
先週の説教では、陸軍中野学校出身の軍人たちによって訓練を受けた、沖縄出身の14〜17歳の少年たちによるゲリラ部隊(「護郷隊」約1000人)が、実際に沖縄戦に参加した話を紹介した。そのうち160名以上の少年兵が戦死したという。沖縄は「捨て石」と言われたが、彼らは「捨て石の捨て石」であった。そして沖縄は今もなお、「捨て石」とされ続けている。翁長さんをはじめとする沖縄の人たちの怒りを、我がものとしたい。 (中沢譲)