牧師室より

サッカーワールドカップ・ロシア大会で、日本代表チームの使用したロッカールームが、試合後非常に美しく清掃整頓されていたことと、日本人の観客も、観客席を清掃して立ち去るということが良い評判になっていると聞く。確かに、自分(たち)が使った場所をきれいに整えて立ち去る習慣は、ある程度私たちの生活習慣の中に根付いているのを感じる。ただ、「立つ鳥跡を濁さず」は、水鳥が飛び立った後の水が濁らず澄んでいることに、引き際の美しさをたとえたらしいが、我が家の窓の外で、周囲を水撥ねだらけにして立ち去るカラスの行水を眺めていると、いささかの疑問を感じないではない。

 日本人に、引き際の美学もあるのかもしれないが、放射性廃棄物の処理方法が確立しないまま原子力エネルギーを使い続ける方針は、後の世代に「後片付け」を押し付けている無責任さ以外の何ものでもない。最近、「移染」という言葉を知った。もともと染色技術に関連して、染めた場所以外のところへ色移りすることを指す移染という言葉があるのでまぎらわしいが、今言われている移染は、染色のことではなくて、放射性廃棄物のことである。福島の原発事故で発生した汚染土などを除染して生じた膨大な「廃棄物」は、仮置き場から徐々に中間貯蔵施設に集積されつつある。しかし、その後の最終処分地については、未定のままだ。汚染は取り除かれているというより、場所を移しているだけなので、「除染」ではなく「移染」だ、という指摘がされはじめている。しかも、里山など除染作業ができない場所から、雨が降れば汚染された水や土が住宅地に流れ出るので、まだ除染作業は続ける必要があるだろう。原発から今も出続けている汚染水も、処理方法が決まらぬまま、敷地内の貯蔵量は百万トンを超えていると聞く。たとえ事故が起きなくても放射性廃棄物を出し続ける原発を稼働させつづけ、移染や、調査だけで二十年はかかる計画として発案された最終処分地選定に、兆単位の国費が使われる。行水カラスの行儀の悪さを笑えない。

           (中沢麻貴)