牧師室より

「あらゆる政府、政党、政治家は秘密を持っている」「正当化できる噓や秘密もあれば、そうでないものもある。従って、市民は、誰かが秘密を暴露して噓を暴く行為が正当なものであるかどうかを判断する前に、正当な秘密と不正な秘密の違い、正当なごまかしとそうでないごまかしの違いを知る必要がある。そうでなければ、機密情報や文書を公開し、不正行為を内部告発する行為が公益に資するものか、さらには民主的政府の利益になるかを判断できない」(「政府の秘密とリークと内部告発」『フォーリン・アフェアーズ』日本版5月号)。

 これはマイケル・ウォルツァーという学者が、米国の雑誌に寄稿した論文である。米国には国立公文書記録管理局というのがあり、政府の文書は公開されている。また機密指定の文書も、一定の期間を経て公開される。そのようなシステムがある上での、内部告発の是非を考察したのが、上記の論文である。ウォルツァー氏は、内部告発者が受ける機密漏洩の罪に関する問題と、告発者の保護の問題等を論文中で取り上げているが、色々と考えさせられる。

 昨今、財務省の公文書の改ざん(隠蔽)問題、森友学園国有地売却に関する口裏合わせ問題。加計学園獣医学部設立に際しての「総理のご意向」発言とその隠蔽問題。南スーダンPKOの日報隠蔽問題など、安倍政権に関する話題は尽きることがない。

 問題になっているのは、政治家による事実の隠蔽である。権力を行使して、なりふり構わぬ自己保身をする様が、問題なのだ。公文書を管理する独立機関の必要性を感じる。

 日本大学アメフト部による傷害事件が起きた。日大側は、ひとりの選手を組織的精神的に追い込み、関西学院大学の選手に怪我を負わせるように仕向けたという。そのことは、加害者に仕立てられた学生自身による告発と謝罪によって明らかになった。しかし日大側は、事実を明らかにせず、安倍政権同様の方針をとって、事実を隠蔽した。

ウォルツァー氏が指摘するように、「正当な秘密と不正な秘密」の違いをしっかりと見極めた上で、「不正な秘密」については、根本原因を追及し、同様な問題が生じないように対処することが、民主主義には必要なのだと思う。             (中沢譲)