牧師室より

「結局、私たちは過去に生きた、無数の人々の死を穢してしまった。土は、ひとのみならず、草木の動物、ほんのちいさな微生物の死の堆積なのだから、土地を汚すということは、過去から将来にわたって、命の根源を損ねるということになる。『田畑を損なってご先祖様に申し訳ない』という時、その先祖の範囲は、ひとだけに限らない、かなり広い生き物の世界を意味し、ほとんど悠久の時間を遡るということになる」。

 これは、『世界』4月号(岩波書店)に掲載された「精神の離散と祈り」の書き出しの文章である。寄稿者は、山内明美氏(大正大学准教授)。山内氏は、この中で、アイヌの詩人、宇梶静江氏の詩を紹介している。

 大地よ/重たかったか/痛かったか/あなたについてもっと深く気づいて/敬って/その重さや痛みを知る術を持つべきであった/多くの民が/あなたの重さや痛みとともに/波に消えて/そして大地にかえっていった/その痛みに/今私たち/残された多くの民がしっかりと気づき/畏敬の念をもって手をあわす

 東日本大震災から7年の時が経過した。私たちはこの出来事をどのように受け止めてきたのであろうか。

 大地を汚したのは、原発であり、人間である。それゆえに、痛みを分かち合う覚悟が見えない「復興五輪」というかけ声は、あまりにも空しい。7年という時は、私たちが、何を壊し、何を失ったのかを考えるのに、十分な時であったはずだ。アイヌの詩人の祈りから知らされるのは、「気づき」という事柄である。被造物を自由に汚す権利を、人は与えられてないのだ。       (中沢譲)