牧師室より

受難節5週目を迎えた。地上は罪深い事件に溢れている。とくに悲しいと感じたのは、学校法人森友学園との国有地売買の交渉(契約)担当部署に属していた、財務省近畿財務局の職員が自死した事件である。実際に何があったのかは分からないが、報道されている情報から考察するならば、自分の存在を壊してしまうほどのストレスの中に、その人物は置かれたということだろう。この国は悲しいことに、人の命が損なわれないと、動かない(原発等の問題で言えば、それでも動かない)深刻な構造を抱えている。もし、首相や国会議員との距離で、利権に群がれる権利が決まるというのであれば、第3世界の独裁国家並の民度と言われても仕方があるまい。「何かがおかしい」と悩んだ人は、闘いに立ち上がるか、壊れるしかないことになる。

今年の2・11集会(思想・信教の自由を守る日・横浜地区集会)では、内海愛子氏(恵泉女学園大学名誉教授)をお招きした。集会資料に、片山日出雄氏(海軍大尉・BC級戦犯として処刑)の日記の一部があった。

片山大尉というBC級戦犯については、戦後補償問題の関係で知識として知っていたが、内海氏の講演後に気になり、牧師の視点であらためて読み直してみた。片山大尉は、自らも上官の罪を負って死刑囚となっていたが、同様に日本人の上官の罪を着せられて死刑判決を受けていた台湾出身の兵士らの減刑活動の為に、尽力したキリスト者でもあった。多くの兵士たちが、上官の罪を背負って処刑されたことを思う。

罪を見つめることなくして、日本の未来はない。日本基督教団についても同じことが言える。 (中沢譲)