牧師室より

子どものころ、815日朝のTVは、少し静かだった。厳粛な表情の人々が、いつもより多く画面に映っていた。今は、あまりそういう感じが無い。117日も、阪神・淡路大震災後、しばらくは、いつもより静かな朝が感じられた。今日、311日は、どんな朝だろうか。あの東日本大震災から7年となる、この日。

 あの日、荒川で、教会三階にある牧師館の、ダイニング・キッチンの机上でノートPCを開いて原稿書きをしていた。小さい揺れを感じ、いつもの習性で秒数をカウントしていた。中学理科で習うこととして、地震の初期微動というのがある。大きな揺れ本体のくる前に、地震波のうちP波という要素だけが先に到達して、小さい前兆的な揺れとなるのが初期微動だ。震源が遠いほど初期微動継続時間は長くなる。初期微動継続時間の秒数に8をかけると、ほぼ震源距離 (km) の目安になる。あの日は、秒数をカウントしながら、これは千葉や長野ではなく、もっと遠い関西か東北が震源だろうと見当をつけたとたん、大きな揺れが来た。

 食器棚の戸が開いて食器が真横に飛び、割れた破片が、とっさに閉じたPCの蓋にささった。本箱は固定してあったが、可動棚がはずれ、本が散乱した。揺れが収まったところで、とりあえず、玄関までの動線を確保しつつ、割れ物を端によせ、震源地を知りたいとTVをつけた。そこには既に、津波の空撮映像が。

 頭の中で、子どもの頃、近くの川が氾濫すると鳴らされた火の見櫓の半鐘の音が響いた。早く逃げないと、急いで避難しないと、早く、早く…。

 地震や津波などの天災は、現象を良く理解し、準備を心掛けることが大事だ。自然の猛威からどうやって命を守るか、助け合って備えることが大事だ。戦争や原発などの人災は、二度と起こさないように、その道を歩まないことが大事だ。(中沢麻貴)