牧師室より

先週の主日礼拝説教は、イエスが荒れ野で、サタンの試みを受けられた箇所からであった。準備する中で、荒れ野について調べているうちに、ふと思い出したのが「人外魔境」という言葉だった。

 子どものころ、手塚治虫や水木しげるの作品と親しむうちに出会った言葉である。小栗虫太郎の造語と知ったのは、だいぶ後のことだ。人の住む世界の外には、人の支配を超えた魔物や獣が棲む領域がある、という魔界の着想は、おそらく世界的に広く昔からあると想像する。

イエスの荒れ野での試練は、神と邪悪なものとが対決する場で、イエスが人間代表として神の側からその対決に参加してくださったということだ、という解釈をする人もいる。

 いろいろ調べているうちに、聖書続編「マカバイ記二」に、ユダヤ人解放のために戦ったユダ・マカバイが、「荒れ野に引き下がり、仲間と共に丘の中で野獣のような生活をした。彼らは汚れの罪に染まらないように野生の植物しか食べなかった」とあるのを見つけた。荒れ野にむしろ、精進した者の姿が似合うのかも。

今は、政治家や官僚の国会でのやりとりや、国家間の政治的駆け引きなど見聞きしていると、人間世界のほうがよっぽど、おどろおどろしいと感じる。イエスが荒れ野を離れ、人の世に歩みだされた時こそ、本当の魔境の中へと歩みだされたのかもしれない。    (中沢麻貴)