牧師室より

 昨年、ある教会員から、「なぜ、今日、ユダヤ人キリスト者は存在しないのか」という質問を受けた。その時は、「ユダヤ人キリスト者と言えるのは、改宗した第1世代だけで、第2世代以降は、単純にキリスト者として数えたからではないか」と、私は答えた。  

また昨年のクリスマス礼拝においては、ローマ帝国内でキリスト教が急速に普及した理由として、「ローマの平和」と呼ばれる帝国内の治安の良さと、パウロが「ローマ市民」であったことなどが考えられるのではないかと述べた。以上の2点については、そういう要素もあるだろうと、今でも考えている。

 今年になり『キリスト教とローマ帝国』(新教出版社、2014)という本を読みだした。ロドニー・スタークという米国の社会学者による論文集で、キリスト教が短期間にローマ帝国を席捲したのは何故だろう、という事で論じた仮説である。著者は、ユダヤ教は、45世紀頃まで、キリスト教に信徒を供給し続けたと論じている。つまり、かなり長い期間、ユダヤ人キリスト者は存在した、というのである。そのことを証明するために、スタークは、複数の歴史的事象を資料として用いる。その一つが1819世紀に見られる欧州での「ユダヤ人解放令」である。たとえば仏国では、人権宣言(1789)決議直後の1792年には、「ユダヤ人解放令」が採決され、ゲットー(隔離居住区)からユダヤ人は「解放」された。この出来事は、隔離された中で共同体を維持してきたユダヤ人を、いろいろな意味で「解放」することになる。同化を求める近代国家の枠組みの中で、次第に周縁化されていく過程において、律法遵守を止めて、時代状況に合わせようと、「改革派ユダヤ教」が登場することとなる。旧約聖書に基づき、非部族的、非民族的宗教を目指す運動であり、“ユダヤ人らしさ”を取り除いて、活路を見出す運動だと、スタークは紹介する。

 そして、これと同じようなことが、初代教会の時代にも起きたのではないか、とスタークは自説を展開するのである。つまり“ユダヤ人らしさ”を維持することが困難になりつつあった、ディアスポラ(離散)のユダヤ人たちの中から、旧約聖書の信仰を継承し、律法主義からの解放を説いていたキリスト教に、居場所を見つけたと論じるのだ。それゆえに5世紀頃まで、ユダヤ人キリスト者が存在したのでは、ということなのだ。

今日、ユダヤ人キリスト者が存在しないのは、「迫害の結果だ」とスタークは言う。耳が痛い。 (中沢譲)