牧師室より

新しい年が始まりました。この年もどうぞよろしくお願いいたします。

私は、両親が教会員で、かつ帰省するような郷里もなく、親戚同士の交流もあまり頻繁でない環境で育ちました。両親共に、教会での奉仕を一番の楽しみにしているようなところがあり、クリスマス前には、夜なべして、教会学校の子どもたちの祝会で皆に配るツリー型のキャンディーボックスを、何十個もせっせと紙で手作りしていた姿など思い出します。私も、何十件もの教会員宅の戸口で讃美歌を歌うキャロリングに参加し、青年会の若い方々を呼んでの家庭クリスマスでは、母が手料理をふるまい、他にも様々な教会のクリスマス行事を、一家で堪能するような生活が何十年と続きました。そしてクリスマスが終ると、父が、母と私に「お正月はなんにもしなくていいよ」と宣言、一家でぼんやりと年明けを迎える生活が、すっかり身についてしまいました。そして今や、共働きの牧師となって、お正月のぼんやり度は、更に磨きがかかっているかもしれません。

 生命活動には、緩急のリズムが自然に備わっていますが、経済活動には、ときどき休止期間を意図的に入れることによって、速度にブレーキをかけないと、資源枯渇や環境汚染、社会全体の疲弊が生まれるように思います。聖書の旧約時代においても、家畜放牧を生活基盤にしている族長時代には、安息日の言及がありませんが、都中心の都市型生活においては、安息日の説明の中で、自身が安息するだけでなく、奴隷や家畜も休めよ、と命じられています。

新年の、都市のざわめきが薄まった青空を見上げると、休むことは、空白や欠損ではなくて、生きるうえで大事な一つの要素だと、安息日が教えてくれると感じます。休む人と、神は共にあるのです。この国の四季のうち、冬は自然界にブレーキがかかり、野山に休止が感じられる季節です。見えないところで、じっくりと発芽や開花、孵化や羽化の準備がなされています。ブレーキの大切さを、神様から教えられた者として生きたいと思いました。 (中沢麻貴)