牧師室より

クリスマスおめでとうございます。

 神学校には、クリスマスに関する一つの小噺(?)が言い伝えられていました。ある町の教会の牧師が、12月に入って教会玄関前でクリスマスの飾りつけをしていたら、通りがかりの人から、「へえ、教会でもクリスマスをやるんですね」と言われた、というものです。この国では、クリスマスは、テーマパークや商店街がやるイベントだと思われているということですね。

 前任の教会は東京下町にありました。暮れのある日、町内会の方が教会を訪ねてこられました。こんにちは、と挨拶をかわし、「今日は、年末だから、これをみなさんにお配りしてるんですよ」と、手に持ったものを渡そうとして、その方は「あ!」と何かに気づいた顔をされました。その手には、「賀正」の文字と門松の絵がついた紙が。よく街の商店などで張り出されているのを見かける「紙門松」とか「賀正紙」と呼ばれているものです。教会のある町は、自営業の方も多く、また小さい家がひしめき合って建っている地域でしたから、自前で門松を出す家は見当たらず、紙のお正月飾りを町内会で配る習慣も、自然なものだったのでしょう。それで、その方は、「そうか!お宅は、もしかしてコレ(紙門松)は、いらない?」とおっしゃるので、「はい、クリスマスに、もうウチの神様は来ちゃってるので、いらないんです。でも、みなさんと同じように、ウチのことも気にかけてくださってありがとうございます」とお返事しました。そうか、そうだよねぇ、なるほどねぇ、コレはいらないんだ、とおっしゃるその方と、顔を見合わせて笑い合った楽しい思い出です。

 私たちは、クリスマスのツリーやリースを常緑樹でつくり、神様の永遠や平和を思いながらクリスマスを待ちます。それと似て、門松の松には、年神を「待つ」とか「祀(まつ)る」という意味が込められているのだ、と聞きます。みんな神様をお迎えしたい気持ちでいることに、気づかされた下町暮らしでした。年越しとお正月の準備に、人々がせわしなく行きかう師走です。でも、クリスマスの教会から足を踏み出す時、私たちは、もう「主は来ませり」の喜びの中にいるのですよ、という顔をしていたいものです。

          (中沢麻貴)