牧師室より

『夜廻り猫』というマンガをご存じだろうか。私の友人でもある、あるオタク牧師が、ある紙面で紹介していたので知った。今、ネットで静かに話題となっているようだ。

「泣く子はいねが〜」「困って泣く子はいねが〜」。主人公の遠藤平蔵が、町内を夜回りする。そこで「ん、涙の匂い…」と、涙の匂いをたどり、悲しんでいる者たちと主人公が出会う物語である。そして平蔵は、悲しむ者たちの話を聞き、彼らに寄り添うことになる。

作品は、8コマのマンガである。著者の深谷かほるは、福島出身の漫画家。家族に見せるために書いたのが始まりという。家族からツイッターで公開することを勧められ、投稿をすると、口コミで評判が広がる。2017年、第21回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

ここ数年、世間は猫ブームなのだそうだが、主人公はお世辞にも可愛いとは言えないし、名前も風変わりである。頭の上に猫缶を乗せ、ドテラ姿で下町に生きる。

 主人公が嗅ぎ取るのは、物理的な涙とは限らない。美味しい食べ物の匂いに惑わされつつも、彼がたどり着くのは、“悲しみ”や“辛さ”である。猫社会だけでなく、人間社会にも、すーっと自然に入り込む。そして、悲しむ者たちの“傍(かたわ)らに立つ”のである。そしてそのことが、悲しむ者たちに変化を生じさせ、問題は解決しなくても、解消されることになる。

 今日からアドベントに入った。主イエスが世に与えられたことを感謝しつつ過ごす時でもある。ヨハネによる福音書は、イエスをこう証ししている。「言(ことば)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」と。

「言」とは、イエスのことを指す。主イエスは、暗闇のただ中で輝く希望であるとヨハネは証しする。悲しむ者たち、困難な中を歩む者たちの傍らに立ち続ける希望の光だと、ヨハネはイエスを理解したのだろう。暗闇の中で輝く光は、一見無力に見える。暗闇は広く、強大に見えるからだ。しかしその光には、人を立ち上がらせる力があるのである。それゆえに、イエスの到来は、希望の到来であると言えるのだ。

そして夜回り猫・遠藤平蔵は、その“希望”に従うかのように、今宵も夜回りに出かけるのだ。(中沢譲)