牧師室より

1031日は、宗教改革記念日であり、ハロウィンでもある。ハロウィンとは、All Hallows' Eveの短縮形。hallowは、「聖人」を指すので、直訳的には「諸聖人の前夜」という意。翌日の111日が「諸聖人の日」となる。もともとはケルト民族の信仰に由来しているが、近年、日本でも商業的に取り入れられ、仮装大会の日として、各地で町おこしに利用されているようだ。それに比べて、宗教改革記念日であることは、あまりにも知られていない。

 今年は、宗教改革500周年ということで、この国でも日本聖書協会を中心に、イベントが企画されている。

 宗教改革のきっかけは、ルターがヴィッテンベルク城教会の門の扉に、「九十五か条の提題」(正確には「贖宥の効力を明らかにするための討論提題」)を張り出したことによる。「贖宥」とは「免罪」という意であり、ルターは、贖宥状(免罪符)の発行について問題にしたのだ。

当時、ローマ教皇レオ10世が、聖ペトロ大聖堂建築資金のために免罪符を発行したことが大本の原因だが、より具体的には、当時、マクデブルク大司教位とハルバーシュタット司教位を持っていたアルブレヒトが、マインツの司教位も得ようと画策し、賄賂の費用を捻出するために、自領内での免罪符販売の独占権を得て、金儲けをしたことが、ルターの目に問題と映ったのだ。

 このように、ルターは免罪符発行を問題にした人物というイメージが強いが、彼は“信仰の自由”をめぐって発言した人物でもあるようだ。 

1521418日、ヴォルムスの帝国議会で、皇帝も在席の場で彼はこう発言している。「(自説を撤回せよとの強要に対して)良心に逆らって行動することはむずかしいし、災いであり、危ういことなので、私は自説を撤回しませんし、しようとも思いません。神よ、私を助けたまえ。アーメン」と。このルターの発言は、信仰の自由の問題のみならず、近代的自由の思想にも連なる発言だと思われる。彼は地上の権力を前にして、命がけの発言をしたことになる。

プロテスタントに属する教会が、宗教改革500周年を祝うのは自由であるが、戦時中、宗教団体法に屈して教団を設立し、伊勢神宮にも参拝し、ホーリネスを犠牲にしたことへの反省も十分にできずに、「教憲教規」に反するとして、自らの信仰に忠実な信仰者を裁く人々に、ルターを持ち上げる資格はあるのだろうかと、ふと思う。    (中沢譲)