牧師室より

 振り返ると、なんだかとんでもない事が、政治の世界で起きているように感じる週であった。もはや、議会制民主主義という言葉が空虚に聞こえる昨今の情勢である。議会は話し合いの場であるという前提は成り立っておらず、多数決で議決される際の多数派を確保することが、すべてを決するような考えで政治が動いているように見え、もはや国政の中身という肝心なことより多数であることだけが政治家にとって目的化しているようにすら見える。どうしちゃったのでしょう、私たちの国は。「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した」というイザヤ書(72)の言葉が思い出されたりもする。せめて、主体性なく通りがかりのものにくっつく濡れ落ち葉ではなく、翻弄されても、命脈からは切り離されないでふんばる生きた木の葉でいたいのだが。

 最近、元教え子の主催する劇団の前衛的な作品を観劇した。人生を盗む怪盗の物語である。人生を盗まれた人々は、生き方を見失って右往左往する。しかし、そこではじめて、かつてしたことがない形で、他者と語り合うことが起き、やがて新しい人生を見いだす者、人生を取り戻す者が現れる。それらの人々によって、やがて怪盗自身も人生を取り戻す。人生が希望に向かうのを邪魔する存在として、人を支配しようとするゲジゲジが登場する。舞台上で人生を回復した人々は、あなたもゲジを倒すのを手伝って下さいと観客たちに呼びかけ、紙つぶてが配られた。皆で紙つぶてを投げてゲジを退散させ、爽快であった。    (中沢麻貴)