牧師室より

 2017キリスト教本屋大賞」が発表された。たまたま私が購入していた本も何冊か入っていた。

 その中で、日本基督教団史を考える上で、重要な資料になると思われるのが、故 川端純四郎氏(神学者)の『教会と戦争』(新教出版社)だ。

 さまざまな分野での原稿が収録されているが、私が注目したのは、「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえなおし」について論じた、九州教区総会の講演原稿だ。川端氏は沖縄との「合同」の実態は、「合同」でも「復帰」でもなくて、「吸収合併」であったとした上で、その原因を「日本基督教団」成立前史にまで遡及して論じている。

彼は、戦前の一部の教会には、たしかに漠然とした教会合同の思いがあったことを紹介しつつも、当時の日本人キリスト者は、意識は無教派主義で、自分たちが所属している教派(長老主義、会衆主義、監督制)の違いに無自覚であったという。

 また、多くのキリスト者が参加した自由民権運動の敗北が、キリスト者を「条件つきの自由の中に」閉じ込めてしまったとも見る。

 教派の違いを超える努力を重ねることもなく、一方では政治には関わりたくないという意識を抱えながら、宗教団体法の下、1941年の日本基督教団の誕生があったと経緯を論じるのである。しかもホーリネス教会の切り捨てを契機に、教団は戦争協力教団となり、「沖縄支教区」の切り捨ても決断している。にもかかわらず、戦後、指導部の辞任も反省もなく教団は継続し、のちに沖縄キリスト教団との「合同」の問題を生じさせることになる。この反省なき体質にこそ、「吸収」を「合同」と言い換える事柄の本質があると、川端氏は指摘しているのである。   (中沢譲)