牧師室より

 イースターおめでとうございます。

 本日発行の『若木』にも書きましたが、わたしは復活日に受洗したので、毎年この日になると、いい加減な日頃の反省をし、少々(?)改まった気持ちにさせられます。母教会での洗礼式の思い出は、式の後半、牧師が授洗後に感謝の祈祷をする際、会衆に向かって「復活日に受洗された方はどうぞお立ちください」と声をかけ、同じ復活日に受洗した方々が静かに立ち上がってから、祈祷が行われるという習慣があったことです。三大節(復活日、聖霊降臨日、降誕日)に受洗される方が多いこともあって、同じ日に受洗した人が立つという習慣が生まれたのでしょう。

わたしは受洗した頃、まだ小学校出たてのヒヨっ子でしたので、自分の後ろで何人もの人が立ちあがる気配が、何かとても力強い励ましに感じられましたし、以後の復活日には、今度は自分が受洗者の後ろで立ち上がって一緒にお祈りできることが、何か誇らしく嬉しかったのを思い出します。ただ、受洗者が比較的少ない聖霊降臨日や、通常の主日に受洗される方の場合、感謝祈祷の際に一緒に立ち上がる人が少なかったり、起立の呼びかけをしなかったりしたわけで、それがさみしい感じになるといけないので、難しい面もありました。けれども、復活日の洗礼式の感謝祈祷では、母教会を離れた今も、心の中で、立ち上がった気持ちで祈りに参加しています。  (中沢麻貴)