牧師室より

青野太潮著、『パウロ 十字架の使徒』が岩波新書として出版されたので紹介したい。青野氏は長年、西南学院大学神学部で教鞭を執ってこられた新約学者であり、バプテスト派の牧師でもある。

 新約聖書には、パウロ書簡として13書簡が収録されているが、青野氏はその中の7書簡が真筆だとしている。ちなみに7書簡を真筆とする立場は、現在の新約学の中ではスタンダードである。

 7書簡のうち、「フィレモンへの手紙」は個人宛であるが、他の6書簡(Tテサロニケ、Tコリント、Uコリント、ガラテヤ、フィリピ、ローマ)は教会宛である。その6書簡について青野氏は、こう説明する。「それらは礼拝の中で会衆に向けて朗読されることを意図して書かれている」とし、その理由として、次のパウロの言葉をあげている。「この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます。」(Tテサロニケ5:27)。

ちなみに、この「テサロニケの信徒への手紙一」は、現存するパウロ書簡の中で、もっとも古い文書とされている。この書簡が執筆された当時、教会では“朗読”の慣習がまだ定まっておらず、「今まさに成立しようとしていたことがうかがわれる」と青野氏は語っている。そして「パウロの手紙は、教会指導者や文字が読める一部の者たちに宛てて書かれたものではない。多数の信徒たちに読み聞かせることを想定して書かれた手紙なのである」とするのである。

 興味深い分析である。パウロが教会で朗読されるべきメッセージとして執筆し、教会もまた、教会で朗読されるべきメッセージだと受け止めてきたものが、パウロ書簡ということになるからだ。たしかに、過ちを繰り返す教会にとって、パウロの教会理解と信仰は重要である。パウロなしには、教会は今日まで存続していなかったであろう。

話は変わるが、210日は「聖パウロの難破記念日」である。囚人パウロを護送する船が嵐に遭い、14日間、アドリア海を漂流したのちにマルタ島に着いたことを記念するカトリック系ローカルの祝日だ。この日、マルタ共和国は法定休日。パウロ像を担いだ一行が、「聖パウロ難破記念教会」を出発し町を練り歩く、盛大なパレードが行われるとのこと。羨ましい気持ちと共に、パウロの存在の重さを思う。    (中沢譲)