牧師室より

沖縄の知人から書籍が届いたので紹介したい。『従順という心の病−私たちはすでに従順になっている』(アルノ・グリューン著、村椿嘉信訳、ヨベル刊)。本を贈ってくれたのは、訳者の村椿嘉信牧師。ケルン・ボン日本語キリスト教会牧師、沖縄教区議長などの経歴を持つ方だ。

 アルノ・グリューン(1923-2015)。心理学者。ベルリンでユダヤ人の両親のもとに誕生。1936年に米国に移住し心理学を学ぶ。ハーレムのこども病院で心理療法士として活動。1979年にスイスで精神療法の診療所を開設。2001年に、「白バラ」抵抗運動(ナチスへの抵抗運動)のショル兄妹を記念した「ショル兄妹平和賞」を受賞している。

 グリューンは、「従順」という事柄に注目し、その問題を明らかにしている。「『不従順な人間である』という私たちの不安が、自分を抑圧者に従わせようとする。その結果、私たちは抑圧者と結びつき、抑圧者の『暴力』と『侮辱』を、『愛』と取り違えてしまう」と。そしてデヴィッド・F・ウォレス(米国の作家)の次のような言葉を紹介している。「同じ方向に泳いでいる二匹の若い魚が、偶然に向こう側からやってくる年上の魚と顔を合わせた。その年上の魚は、若い魚を見てうなずき、『こんにちは、若いの。水の具合はどう?』と聞いた。二匹の若い魚は、さらにしばらく泳いでから、そのうちの一匹がもう一匹の方を見て、尋ねた。『“水”って一体全体、何のこと?』」。

 グリューンは、「従順」とは、このたとえ話の“水”のようなものだと言う。人は「従順」が何であるのかを知らないし、「自分を縛る鎖」だと感じていないと指摘する。それゆえに「隷属することに対するたたかい」「従順になることに対するたたかい」は困難だと見るのである。

 訳者の村椿氏は、沖縄の状況を容認する日本と、ナチスを登場させてしまったドイツの状況を重ねておられるのかもしれない。安倍政権やトランプ政権の登場を目の当たりにしている私にとっても、身につまされるメッセージである。

私は戦争のない世界を望む』(グリューン著、村椿訳、ヨベル刊)も、お薦めである。     (中沢譲)