牧師室より

毎年この時期になると、私立中学受験のことを思い出す。自分の受験のことは、あまり思い出さないのだが、20年前に教員の立場から経験したいろいろを思い出す。今もきっと、受験生はもちろん、私立学校にお勤めの方々は、ご苦労の多い季節をむかえておられることだろう。

 試験問題作成、会場準備、試験監督、面接、採点、データ整理、合否決定会議などなど、多岐にわたる仕事がある。当時、当日の受験生と保護者の案内誘導係など、高校三年の生徒で既に進路が決定している人たちに手伝ってもらっていた。

ある年、私が顧問をしていた生物同好会の数人の生徒も、その入試の手伝いに加わっていた。試験当日、入り口周辺担当の同僚から、「あなたのとこの子たち、校門のところで、何やらやっている」との情報。私自身はその場を動けなかったので、後で当人たちを呼び出して事情を聞いた。すると、「先生、いろいろな塾の先生たちが門の外に並んでいて、自分のところの生徒が通ると、頑張ってネと言って、握手したり肩をたたいたりしているんです。その中を、誰にも声を掛けられないで抜けてくる子が少しいて、なんか切ない感じがしたので、塾の先生たちの並んでいる最後尾に並んで、誰にも握手されなかった子を見つけたら、頑張ってネ、と握手していました」。

 部活では、顧問として日頃から「よく観察して、事象の理解に努め、そこから何をすべきか方針を導き出す」ことの大事さを口にしていたのだけれど、彼女らが観察の結果導き出した方針が、内心とても愉快だったのを思い出す。

 受験票提示の受付前で、案山子のように突っ立って両手を広げる受験生からコートをはぎ取る母親があれば、母親がコートを脱ぐ間、ごく自然な動作で母の手荷物を持って助ける受験生もある。入試の日は、観察していて考えさせられる光景がたくさんあった。

 どんな問題を作るか、どんな振舞いを教え子の前で見せるか、どんなしつけをわが子にするか、入試なんて、結局問われているのは、大人と大人社会の質なんじゃないかと、思ったものだ。さて、今は?(中沢麻貴)