牧師室より

牧師になる前、通っていた教会で、日曜日に教会に来る子どもたちにむかって聖書のお話をする、ということを、かれこれ20年近くやっていた。当時、子どものための礼拝プログラムの中で、聖書のお話は3分間と決められていた。リーダーの研修会では、3分で話すための練習というのもやっていた。3分で話せるのは、本当にワンポイントなので、結果的には、その日に与えられた聖書の箇所の中で、たったひとつ伝えたいことは何かを、必死で考える良い訓練になったような気もする。やがて、中高生に授業をする身になって、今度は45分の制限時間の中で、何かを伝えるということを訓練された。何かを話して、質疑応答して、もう他に質問はありませんか、と生徒に問い、一瞬の沈黙時間の後にキンコンと終鈴が鳴って、思わず生徒と一緒に拍手したりした日もある。いま、牧師になって、礼拝には終鈴がないので、ついつい説教が長くなってしまった時は、大いに反省する。師匠と仰いでいた牧師からは、教会にいらっしゃる方々の中には、教会に来る時間を、仕事や家事や介護の時間の中から、本当に苦労して搾り出すようにして、おいでになる方もあるのだから、礼拝は時間通りにはじめて、きちんと終わることが大事です、と教えられたことを忘れないようにしたいと思う。

今日は研修会。ふだんなかなかじっくり話す機会のないことを語り合い、互いに聞きあう時を持ちたい。短い言葉で印象深く話される方に、共通する特徴がある。それは聞き上手であるということ。イエス様と出会った人々の中に、本音をぽろりともらす人が多いのも、イエス様が聞き上手だったからかもしれないと、ふと思う。たくさん聞いて、少し話す、それが複数の人々が集まって語り合う場を豊かなものにするコツかもしれない。    (中沢麻貴)