牧師室より

 夏休みなので、30年来の友人を福島に訪ねた。福島市の緑豊かな郊外で暮らす自然大好きな家族である。父さんは林業の専門家として森林除染の仕事に携わり、私の友人である母さんは子どもに絵本の読み聞かせをしたり、絵本作りをしたりしている。吹奏楽部でチューバを演奏する6年生でしっかり者の姉Rちゃんと、来年小学生になる元気いっぱいの弟Tくんは、私と、同行した母さんの学生時代のクラブの先輩であるMさんの二人を、センセイ、センパイと呼んで歓迎してくれた。センセイとセンパイと母さんは、30年前に生物同好会というクラブで一緒に活動した仲間なのである。福島の一家も、茨城で農家をしているMさんも、あの大地震で被災して、5年たってようやく会うことができた。

 たった一日の訪問だったので、同窓会的三人は、近況の報告をしあいつつ、子どもたちと球技や鬼ごっこなど、家の近所や市内の広大な自然公園で遊んだ。翌日の筋肉痛を心配しつつも、子らと共に声をあげて走り回り、ふざけあって、笑いあった。

 Tくんが、逆上がりができるようになったのを見せたいというので、市営住宅の敷地内にある鉄棒で見せてもらった。母さんがその鉄棒の足元を指さす。2センチ角くらいの黄色い杭の頭が鉄棒の根元にあった。敷地内の除去土壌(原発事故当時の表土)が埋設されている場所の目印の杭だ。敷地内に土壌を埋設できるスペースがそこしかなかったのだそうだ。30センチの覆土をすれば、98%の放射線をカットできるとはいえ、Tくんの逆上がりのすぐ下でセシウムを含んだ土が眠っている。そして、近隣の家々の庭先には、除染作業で発生した除去土壌が、覆いをかけられ現場保管されている。それらの行き場はまだ決まっていない。市内の広大な自然公園にも行った。子どもも大人も楽しめる遊具や施設がたくさん。公園入口にはリアルタイム線量計。目をやると0.08μSv/hとあり、首都圏とあまり差のないレベルの数値。福島県内の学校や公園などに3000箇所近くこうした線量計が設置されている。田畑の除染はだいぶ進んだが、森林はまだまだと聞く。果樹園の下草刈りも団地のドブさらいも、「除染作業」。

 母さんによれば、事故当時、親たちは、ネット上などで放射能や原発に関する情報を探し、専門論文のようなものしかないのを無理しても読みあさったそうだ。目に見えず匂いもなにもない放射線。5年たって、気にしない人とする人の差も広がっているようだ。

子らに言いたい。原発、なくせてなくてごめんね。   (中沢麻貴)