牧師室より

英国の国民投票で、EU離脱という結果には驚いた。そして、多くの英国民も驚いたらしく、国民投票をやりなおそうとか、スコットランドなどの地域で独立し、EU残留の意思表示をしようという運動を始める人たちもいて、騒然とした感じがする。しかし、同じようなことが日本でもしもあったなら、投票をやりなおそうとか、小さい単位で違う意思表示をしようとするとか、そういう動きは国民の間に起きるだろうか?と考えると、英国がみっともないのではなくて、波風が立ちにくい日本のほうが、むしろ恐ろしいような気もする。多くの人のつくる流れは間違うこともある、ということを私たちは70年前の戦争体験から知ったはずなのに、この国は、公式に決めた事や選んだ人は、間違わないということが、するりと前提になる気がする。

私が小学校上級のころ、新任のクラス担任が、あまり上手に授業準備や学級運営ができず、今風に言えば「学級崩壊」の状態を経験した。先生は、もっとちゃんと授業準備をするべきだ、とか、反対意見を述べる生徒に「黙れ、オレをなめてるのか」などと暴言を吐くのはやめてほしいとか、5,6年生ともなると、教師に対してシビアな意見もたくさん出る。新任先生は、それを権威主義で制圧しようとしたものだから、教室が荒れた。最初、生徒たちは自分たちなりの正義感から反抗していたが、だんだん崩壊の度合いが増して、騒ぐために騒いでいるような無秩序に。首謀者の一人であった私は、思わず仲間に「もう何やってるのか、わかんなくなってきたから、やめない?」と言った。すると、「放課後ちょっと残って」と、首謀者グループから伝言をもらった。内心、グループから裏切者扱いされてイジメられるかな、という思いが心をよぎった。けれど、逃げるのもしゃくで、放課後に指定された教室へ。同級生のYちゃんが先に来ていて、ぐるっと丸く椅子を並べていた。「ここに座って」と言われた席に座ると、みんなだんだん集まって輪になって座った。「やめるって、言ってたの、どういうこと?説明しなよ」とYちゃんにうながされて、最初は先生がいけないと思って騒ぎだしたけれど、今はただ騒ぐのが面白いから騒いでるだけになってきたから、もう先生に反抗するのをやめるしおどきだと思ったということを、つっかえつっかえ説明した。そうしたら、黙っていつになく真面目な顔でそれを聞いていた仲間たちは、うん、わかった、とびっくりするくらいあっさり同意して、やがて「崩壊」は波が引くように終わった。

民主主義という言葉を聞くと、一人で先に来て、みんなが座る椅子を黙々と丸く並べていたYちゃんの姿をいつも思い出す。  (中沢麻貴)