牧師室より

1970年代から80年代に、教会で学生時代を過ごした。教会には中高生が自主活動をする「ベタニア会」という組織があり、大学生以上は「青年会」という組織があった。どちらの会も月ごとに会報を発行していた。

中学生になって、そうした会報作りに参加する中で、謄写版(とうしゃばん)印刷の技術を覚えた。中高生の会報作りは、牧師や伝道師がアドバイザーにはなってくださったが、高校生の編集長のもと、四、五人の編集員で、B4二つ折りで8頁の紙面を、一から自分たちで作り上げて毎月発行していた。毎月、学校帰りに教会に集まり、編集会議で紙面の割り付けをし、原稿依頼を手分けして行い、集まった原稿をもとに「ガリを切って」(印刷用の原版作成のこと)、200部ほど印刷し、中高生と教会員に配付。いま考えると、学生生活にはそれだけの時間があったのだ、と気づく。学校の試験期間であっても、部活や学校行事があっても、受験生と呼ばれる時期も、毎月発行の会報作りは淡々と続けられた。高3のセンパイが、「夏はヨゼミがジュケンジュケン、ホシュウ(補習)ツクツク鳴くでしょう」などと、予備校の名前をもじった鼻歌まじりでガリを切っていた姿を想い出す。

 ロウ原紙を鉄のヤスリ板の上に固定し、先の尖った鉄筆で3ミリのマス目に沿って字を埋めていく。「ガリ字」は独特の書体である。原紙は薄く破れやすいので、字によっては破れないように書き順も変えて書く。原紙一枚分は一人で原版を作成した。筆圧が変わると印刷ムラになるからだ。一枚の原紙に1頁と8頁、2頁と7頁など、間のとんだ構成になるので、記事の途中で別紙面になることもあり、結構頭を使う作業だ。原稿は時として「穴が開く」こともあり、編集員は穴埋め記事も書いた。原稿の長さがまちまちだと、割り付け紙面を調整し、余白に適当なカットも描いた。

今の時代、PCやスマホを器用に操る中高生を見ると驚嘆するが、あの頃にも別の器用さがあったな、と気づく。謄写版印刷は全工程が電力いらずでエコだったと若い人に自慢しようか。それに、中高生のフトコロが全く痛まずに教会で習い覚えた事が、実にたくさんあったことも、自慢できるかもしれない。(中沢麻貴)