牧師室より

 30も前のことだが、初夏に山道を歩いていると、目前の路上を急いで横断しようとしている小さな黒い姿を発見した。私の手指一本ほどのその生き物は、何かの幼虫で、黒い鬼の金棒のようにトゲがあった。人や車がけっこう通る道なので、今にも踏みつぶされそうでひやひやした。そこで、そっと拾い上げて、たまたま持っていた小ぶりの菓子の箱に、周囲に生えていた植物の葉と共に入れて持ち帰った。君は誰かな。

 子どもの頃から、君は誰かな、とつぶやきながら、いろいろな幼虫を持ち帰っては羽化するまで育て、その正体を確かめるのが趣味(?)だった。ファーブルにあこがれていたので、昆虫図鑑はかなり詳しいものを持っていたが、それでも幼虫の姿まで載っているものは高額で手が出なかったので、成虫になるまで育てないと種類を判定できなかったからでもある。正体を確かめてやるぞと、いつもわくわくした。

 仮称金棒氏は、落ち着きのない様子から、サナギになるまで間もないと推測したが、案の定、持ち帰ってすぐ、硬く縮こまった動かぬ姿になった。次の春までこのままかな、と思いつつ、蓋の無い箱に入れて玄関に放置しておいた。こういうことがたびたびなので、親は寛容であった。

 ほんの数週間たったころ、夜中にふと箱を見ると、脱ぎ捨てられたサナギの外皮がそこにあった。しゃがんで箱を覗き、あ、空っぽだ、いないと、少し慌てた気持ちでふと見上げた先、玄関ドアの上のほうで、美しい孔雀の羽のような目玉模様が四つ見下ろしていた。そうか君はクジャクチョウだったんだね。翌日、あの山道近くの、晴天の空に放して別れを告げたものである。

 イースターに、空っぽのお墓を覗き込んだら、そこに脱ぎ捨てられたような亜麻布を見た女たちや弟子たちの様子を思い描くとき、なぜかあの夏の出来事が胸をよぎる。抜け殻を発見した時のざわざわした気持ちと、やがて訪れた静かな感動。そうか、あなたは私の救い主だったんですね、とわかった彼らの晴れ晴れとした思いを想像する。 (中沢麻貴)