牧師室より

210日から受難節(レント)がはじまりました。いつもレントになると思い出すことがあります。中学生の頃に読んだO・ヘンリー短編集に収録されていた『アラカルトの春』という短編の一節です。貧しいタイピストの若い女性サラが、レストランのメニューをタイプしながら、ある料理の名前を見て、田舎にいる便りの途絶えた恋人のことを思い出して涙にくれる、という場面です。どうして料理の名前を見て恋人のことを思い出したのかは、ネタばらしになってしまうので、書くのは控えます。でも、彼女が泣いている様子の描写に、泣いている理由は、ロブスターが売り切れていたからでもなく、レントの期間にアイスクリームを食べないと誓ったからでもなく、タマネギが出てきたからでもなく…というような説明が書かれていたのです。それを読んだ時にはじめて、レントの期間に何か食べ物を節制する習慣があるのだと知りました。

 レントには、主の十字架への苦難の道を心に想い、生活の中で華美を避け、いつにもまして聖書を読み、懺悔の日々をおくりなさい、とすすめる教会もあるようですが、私自身が信徒として属していた教会には、レントの習慣は特にはありませんでした。でも、牧師になって「克己献金」という名称の、レントの期間に節制して献金を貯め、それを復活日にささげる習慣のある教会を知りました。自分がそうした教会に属していた時は、レントはバスに乗らないで歩くとか、夕飯のおかずを一品減らすとか、そんなささやかな節制をしてみたこともあります(今は、それとは別のやり方で、レントを心に置く“ルーティンとしていますが、具体的なことは内緒です)。

 春は、私たちの生活に、喜びも悲しみも出会いも別れも、もたらします。主イエスは、他者のありようを凌駕も制圧もせずに、ただひとり、十字架の道へと、静かに足を踏み出されました。その身の低さに思いを向けたいものです。  中沢麻貴)