◇牧師室より◇
「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」(マタイ3:9)。
先週の日曜日の午後、人形劇「がらくた座」の公演を教会の集会室で行った。東日本大震災支援委員会と「麦の会」の共催である。長野県松本市から、座長の木島知草さん、スタッフの松澤貴弘さん、そして木島さんのふたりのお孫さんの4人が、遠路はるばる来られた。
「がらくた座」とは、古着やボタンやくつ下や手袋など、廃品を生まれかわらせて手作りした人形たちが演じる、人形劇の一座である。日常生活の中で“役に立たなくなった”と思われている、古くなったくつ下や手袋等に、人形としての命を与え、その人形たちがメッセンジャーとなって、わたしたち観客に語りかけてくるという人形劇だ。
とくに印象に残ったのは、2人の人形が、病気や障がいを乗り越えて、「ひとりひとりちがっていいんだよ」と、互いに認め合う場面だった。
木島さんは、メモリアルキルトとの出会いがきっかけで、性・人権・生命に関する啓発活動を始めたとのこと。おもに若年層を対象として、生命の大切さ、人権、そしてHlV/AlDSとの共生をテーマに活動されている。
冒頭の洗礼者ヨハネの言葉は、神様は、転がっている意味を持たない石からでも、新しい神の民を創造することができると教え、おごっているユダヤ人たちに悔い改めを求めるヨハネのメッセージである。木島知草さんの造り出す人形たち、そして人形たちを通して語られるメッセージに、神様の創造の業を思った。
教会からは50名以上の参加があったが、会場はあっという間に木島さんの世界に引き込まれた。演者と観客という垣根が取り払われ、会場全体が暖かい雰囲気に包まれたのだ。木島さんのメッセージに力強さを感じ、引き込まれたのは、彼女がこれまでに出会った人たちの思いを大切にし、その痛みや悲しみを負っているからだということを思った。
今回、「がらくた座」というメッセンジャーが、横浜港南台教会に遣わされたことに感謝している。この一座との再会が今から楽しみだ。
(中沢譲)