牧師室より

二年前の秋ごろだったでしょうか、テレビから、「男女共同参画社会」ということに関する話題が聞こえてきた中で、政治家が「女性の活用」という言葉を使っていて、とても違和感を持ちました。さらに、「これからは、女性にもどんどん働いてもらう社会にする」という表現まで出てきたので、それはもうびっくりしてしまいました。「活用」というのは、道具として利用する対象物のように女性を見ている視点が匂う言葉ですし、私の周囲には、たとえ低賃金・非正規雇用であっても、ものすごく働いている女性がたくさんいるので、「これからは、どんどん働いてもらう」という発言をする人の眼には、そういう人の存在はどう映っているのだろうか、いや眼中にないのだろうか、と不信感と憤りを覚えたものです。

最近のアベノミクスに関連しては、「活用」という言葉はさすがにマズいと思ったのか、「女性の活躍」という表現が頻繁に出て来るようになりましたが、これも私には不可解な言葉です。シングルマザーで子育てを頑張りつつ、自分の子どもだけでなく世界中のすべての子どもたちを、将来ぜったい戦場に行かせたくない、という熱い思いを胸に安保法案反対のために自分の時間を削っている若いお母さんたちの姿など、これ以上ないくらい活躍している女性の姿として、私にはまぶしく、また深い尊敬を抱かせるものです。

女性に限らず、活躍しているのに、ものすごく働いているのに、それを認めようとせず、尊敬しようとしない社会の中で、苦しんでいる人々。その声をきちんと聴こうとしない政治家や官僚には、明日をゆだねてはいけないと思うこの頃です。もっと市民は政治家や官僚を「活用」できるようにならなくてはいけないのかもしれません。言うことばかり大きくて、ちっとも「活躍」しておらず、自分の利益しか考えないような人たちの計画には乗らず、対案が出せるような市民の力が育つにはどうしたらよいのでしょう。唇の寒くならない言葉を探す日々です。(中沢麻貴)