牧師室より

教会外の、あまりクリスチャンを含まない例えば学校のような場所で聖書のお話をする時、いつも教会では使い慣れている言い回しを、そのまま使ってお話しするかどうか、ためらうことがある。例えば、私はふだん「イエス様は、」という言い方をよく使うが、「様」という敬称を手紙の宛先以外に使うことは、日常生活の会話などでは滅多にない。私は子どもの頃から教会の礼拝の中にいたので、「イエス様」という言い方は耳慣れていて、しかも「イエスは」という呼び捨ての言い方には時として心理的にためらいがあるので、「イエス様」と言うわけだ。しかし、教会外で人に聖書を語るとき、特に若い人にとって「イエス様」という言い方は奇異に聞こえるかもしれないと、ある時、はたと気づいた。けれども、自分の自然な語り口としては変更し難いので、なるべく語り始めに、「私は子どもの頃から教会に親しんで育ったので、仏教徒の方々が敬愛をこめて仏様とおっしゃるように、イエス・キリストのことをイエス様という呼び方をします。そういう呼び方に耳慣れているのです」などと、説明したりする。また、献金については、子どもの頃から献金当番でお祈りするときに、「神様のご用のためにお使いください」と祈ってきたので、献金は「支払う」とか「納める」ものではなく、「ささげる」ものであり、自分が教会の側に立って、どなたかから献金を渡されたときには、「いただく」でも「受け取る」でもなく、「おあずかりする」ものとなっている。何気ない言葉遣いのうちに、それなりに意味や自分の立ち位置の自覚があるのである。 (中沢麻貴)