牧師室より

「イエスの愛にとどまる」

ヨハネ15117

小井沼眞樹子宣教師

私は宣教師として、20092月からブラジルのオリンダ市にあるアルト・ダ・ボンダージ教会に遣わされ、任期を終えて8月に帰国しました。

 心を悩ませる事件が日常的に起こる地域でしたが、十分な意思疎通ができないために具体的に関われず、無力感ばかりの6年間でした。教会の方たちとは、神の家族として愛し愛される関係にありましたので慰められました。ですから、お別れすることは心痛むことでした。最後の説教ではどの聖書の箇所を語ったらいいのだろうかと祈り求めました。そしてヨハネ福音書15章の言葉が示されたのです。

 「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」とあります。イエスにつながっていることが大事なことなのです。これはオリンダ宣教6間の実感です。最後の『オリンダ通信』には、教会の方々の声を載せたいと思い、信徒リーダーにインタビューをしてもらいました、その記事を読んだ私は涙が流れて止まりませんでした。弱さの中でもがいていた宣教生活であったと自分では思っていましたが、兄弟姉妹たちが豊かな実りを受け取っていてくださったことが文章から見えたのです。これは聖霊の業以外の何物でもないと思いました。ですから、イエスという木につながっていれば実を結ぶというのは私の実感なのです。

 イエスは「互いに愛し合いなさい」と教えます。しかも、敵をも愛せと言われるのですから、イエスの愛はすごい愛です。しかし人は、愛が湧く源泉を心に持っていません。だから大切なのは循環です。愛が枯れていることに気づいたら、イエスの愛に戻っていくのです。繰り返しイエスの愛に帰って、愛の原動力をもらうのです。そのために、イエスの愛にとどまっている必要があるのです。

 以上が、小さな宣教師の私が、オリンダの愛する兄弟姉妹を困難な状況の地に置いて去って行かなければならなかった時に残してきたメッセージです。そしてこの言葉は、今日、ここにおられるお一人お一人にも、イエスが語りかけておられるのです。

お祈りをいたしましょう。

(文責:中沢譲)