牧師室より

「朝日は昇りて」というクリスマスの讃美歌があります『讃美歌』97番、『讃美歌21268。これは日本で誕生した数少ないクリスマスの讃美歌のひとつです。作詞は、日本で二番目にプロテスタントの牧師になった奥野昌綱1823-1910、作曲は鳥居忠五郎1898-1986。当初は、スコットランド民謡の「蛍の光」や「もろびとこぞりて」の曲に乗せて歌われていました。奥野氏は、横浜に滞在していたヘボン宣教師らと共に、日本語訳聖書を刊行したことでも知られる人物です。当時はまだ、漢文調の文体が好まれる時代でしたが、宣教師たちが庶民の言葉による聖書の翻訳を希望したため、奥野氏ら日本人協力者(ほかに松山高吉氏、高橋五郎氏など)たちは、「雅俗折衷の文体」というあらたな文体を生み出し、1880(明治13年)に『新約聖書』を刊行させています。小説家の二葉亭四迷らが「言文一致論」を論じ始めたのは1886(明治19年)頃であり、日本語の文体がまだ定まらない時期でした。その時に、すでに格調高い文語訳聖書を誕生させていたのですから、その意義はたいへん大きいと言えます。

その日本語訳聖書と共に誕生した新たな文体で、「朝日は昇りて」は作詞され、1882(明治15年)に出版された『讃美歌並楽譜』にも収録されました。この詞は、多くの人に愛されたようで、のちに英訳されて、東アジア・キリスト教協議会編纂の讃美歌集1990年版)にも収録されています。

 作曲者の鳥居忠五郎は、奥野昌綱より少し後の時代の人物です。北海道出身で、明治学院神学部を卒業後、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)声楽科で学び、のちに同大学の教授を定年まで勤めています。教会の合唱指導や讃美歌の作曲等において活躍しました。

 この曲を収録している『讃美歌』では三節でしたが、『讃美歌21』では四節になりました。この歌詞の初出は、1881年『讃美歌』(日本基督一致教会刊)ですが、『讃美歌』では省略されていた第三節を復活させ、その時の形に戻したことになります。 

         (中沢譲)