牧師室より

 まだ生物の教師をしていたころから、理科や農業の分野に進んだ教え子たちから、それぞれがどんな課題に取り組んでいるのかを聞く機会が時々ありました。ちょうど地球温暖化が、だんだん世界的に取り組むべき課題として浮き彫りにされてきた時代であったこともあり、たとえば大学の学園祭においても、模擬店で出す食べ物について、使い捨ての紙製食器や割りばしをどうやったら使わずにすむかを工夫する取り組みをしているとか1997年に京都で開催された第三回気候変動枠組条約締約国会議(別名地球温暖化防止京都会議)で採択された京都議定書について、その内容にどのようなことを盛り込むかについて働きかける運動をしている話とか、無農薬有機栽培への取り組みとか、いろいろ教えてもらいながら過ごしてきたわけです。地球温暖化を食い止めることによって人類の生存基盤が破壊されることを防ぎ、「持続可能な社会」を築くことが求められているという理念についてもよく話題になりました。

 そうした中で聞いた笑い話は、環境問題に取り組んでいろいろ活動していると、本当に自分のための時間がなくて、コンビニ弁当ばかり食べるはめになっています、というものです。現代版「医者の不養生」というわけです。社会の課題と自分の生き方が地続きでつながったものとして意識されることの大切さと難しさを思います。農業で起業した人からは、自分が農産物の生産者になってから、スーパーで牛乳を買うにしても、それまで賞味期限がなるべく長く残っているものを、棚に並んだ中から選んで買っていたのが、むしろ期限が一番迫っているものを選ぶようになったと聞きました。そうすることで、売れ残って廃棄される食品を少しでも減らすことになればという思いが湧くようになったからだというのです。

大量生産大量消費で経済成長や生活水準の向上をうながしてきた社会のありように、どうやってブレーキをかけるか、そろそろ正念場の時代になってきました。「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」は、パウロの言葉です(ローマ139。分かち合って生きることを示す聖書の教えに真剣に取り組みたいものです。(中沢麻貴)