牧師室より

目標を設定して一所懸命頑張り、達成や完璧を求めて疲れきり、挫折感や絶望感に追い詰められる。家族を介護する男性が陥りやすい、危険な状態をそのように指摘する話を聞いたことがある。家事・育児の経験を、ある程度経て来ている女性の場合、先の見えない中で、日々の営みとして、そうしたことをたんたんと行っていくことへの構えが、経験の中で培われているせいか、介護に対しても、自然体で無理せず向き合うことが、比較的男性よりもできることが多いのだとか。もっとも、最近の世の中では、性別に基づく役割分担の共通認識(男は外で仕事、女は家で家事、のような)は、かなり崩壊してきており、適性の比較も男女の比較ということから、だんだん軸が変わっていくであろうと予測する。

 “教会”という営みも、目標設定型の頑張りを軸にやっていくと、うまくいかないような気がする。「地の果てに至るまで(使徒18)」伝道することになる、というイエス様の言葉は、目標というよりは将来像の啓示だと思う。弟子たちも、自分がてくてく歩き回っている限りにおいて、「地の果て」にはとうてい達しえないと分かっていても、宣べ伝えているイエス様のことが、自分を力づけ楽しくしていたので、行き当たりばったりな道筋をたどり、その日暮らしの伝道をしていても、めげなかったのではないかと想像する。むしろ、その場その場で新しい出会いと対話があり、それが福音を豊かな味付けにしていった。

 先週は、教会全体で研修会を行った。話題は多岐にわたり、簡単には収れんしていきそうにない。でも、この秋の実りを皆でゆっくりと、しばらく堪能しているうちに、やがて何かが生まれるための土壌にはなると感じる。誰かがやるべき事を示してくれたら私は頑張るから、というのはだめです。「あなたがたは、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という啓示の前に、共に集い一緒に考えましょう。  (中沢麻貴)