牧師室より

先週、私たちは「平和聖日」として稲 正樹先生(日本基督教団 所沢みくに教会会員・国際基督教大学客員教授)の奨励と講演をお聞きする恵みに浴しました。その報告は次回の「牧師室より」を予定しています。

今年は敗戦70年の年です。日本基督教団常議員会は、「戦後70年にあたって平和を求める祈り」と題する「祈り」を714日に決議しました。その冒頭には、「私たちは戦後70年にあたって、アジア・太平洋戦争時、日本の戦争遂行に協力し、多くのアジア諸国の民に多大な苦しみを与えたことを悔い改め、二度と同じ過ちを犯すことがないために……」とあるものの、反省の具体的内容には触れず、続く言葉は、現在の安倍内閣が強行している安保法制と、私たちの社会が抱えている経済優先主義に対する批判のみに終始するものでした。残念ながら日本社会で生活する多くの人たちが感じていることを書き連ねただけの「祈り」であり、今のこの時期に、日本基督教団として発表する意義を見出せない内容と感じました。社会の雰囲気に同調するだけで、自分たちの教団が犯した罪については、まったく関心がないために、このような「祈り」を恥ずかしげもなく発表できるのでしょう。これが日本基督教団の現実です。

かつて日本基督教団は、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(1967年)を鈴木正久議長名で発表しています。これはもともと教団総会で発表することを目的に作成された議案でした。しかし教団総会では反対意見が多数を占め、教団名で発表するに至らず、「議長名」で発表されることになりました。当時の教団も、戦争責任の意識が希薄で、むしろ被害者意識の方が強かったようです。戦時中の教会学校が、子どもたちに愛国教育を行い、教団が戦闘機を「献上」し、日本軍の占領政策に協力する目的で、アジア各地に「牧師たち」を派遣した実績も、戦前の日本キリスト教界にはあります。にもかかわらず、被害者意識しか持てなかったのです。こうした状況は、日本社会の意識の反映とも言われています。

「平和聖日」は、教団が罪を見つめるための日です。そして今ほど、そのことが求められる時はないでしょう。再び戦争協力教団とならないために      (中沢譲)