牧師室より

年齢を重ねると、一年が過ぎるのを早く感じるようになる、と実感を込めて口にする人が多くいます。自分にもそういう実感があります。客観的な一年の長さは、一歳の子どもにとっても、百歳のおとなにとっても同じはずなのに、主観的には随分違うのはなぜか、自己流で理由づけしてみました。一歳の子どもにとっての一年は、人生が二倍になる時間ですが、百歳のおとなにとっては、人生が1%増しになるだけに過ぎません。同じ一年でも、年齢を経るに従って、一年という時間によって人生の増量分がどれだけかという割合は次第に小さくなるので、主観的には一年を短く感じるようになるのだろう、と自分を納得させました。

 さて、横浜港南台教会は、創立35年となりました。35年はどれほどの長さでしょう。イエス様の十字架の出来事があってから、最初の福音書とみなされることの多いマルコ福音書の編纂が行われたと推定される年代までが、概ねそのくらいの長さではないかと思います。また、35年は、イエス様が地上の人生を歩まれた生涯の長さより、すでに長い時間でしょう。

 ところで、日本は今年戦後70年の節目を迎えます。35年は、ちょうどその半分です。横浜港南台教会は、その出発の頃を生き生きと語る人をまだ有していますが、この国は、先の戦争について語ることのできる証言者の、生きた言葉を聞き取ることが次第に難しくなってきています。これからは、この国の「戦後」という時間を、半分以上担う教会として、歴史における責任が、ますます重くなっていくのだと自覚したいと思います。

私自身の母教会は、創立百年を超える教会ですが、創立当時の記録がほとんど無く、他教会の記録文書において、そのことがかろうじて確認される程度でした。個別の教会としての伝統のようなものはそれほど大事ではなく、人間の創立者たちよりイエス・キリストを大事に語り伝えましょう、という雰囲気でした。それでも、時代状況を敏感に感じ取り、福音をどのように宣べ伝えるべきか、そのことは真剣に考えられていたと感じました。     (中沢麻貴)