牧師室より

「隅の親石」について

家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。 これは主の御業/わたしたちの目には驚くべきこと。」(詩編 118 2223節)。この詩編の言葉が、新約聖書にも響いています。主イエスこそが、「捨てられた石」であり「隅の親石」になったと受け取ったからです。福音書では「ぶどう園と農夫のたとえ」として、マルコ1210節(並行記事がマタイとルカにもある)で引用されており、そのほかにも「ペトロの説教」(使徒言行録411節)やペトロの手紙一27節で引用されています。

引用元の詩編118編は、イスラエルの祭り、特に過越の食事を囲む際に朗読される「エジプトのハレル」として知られる歌集(詩編113編〜118編)の結びの歌でした。イスラエルの民にとっては馴染みのある詩であったようです。この「エジプトのハレル」は、弱い者、乏しい者、そして望みなき者を神様が引き上げてくださるという、固定された構造をひっくり返される神様への恵みの賛美から始められています。小さき民であるイスラエルを顧みられた神様の恵みを覚えてのことだったのでしょう。出エジプトの記念日である過越祭をはじめ、五旬節、仮庵の祭り、宮きよめの祭りの際に、この詩編を朗読するそうです。

 そして新約聖書における福音書記者、ペトロの手紙の記者は、神様の救いのみ業が、主イエスという存在を通して示された、もしくは成就したのだと、鋭く感じ取ったのです。

 ちなみに「隅の親石」という表現ですが、建築用語として用いられることもあるそうで、アーチ型の天井を支える最後の石=要石(かなめいし)を、「隅の頭石(すみのおやいし)」と呼ぶことがあるそうです。この要石によって、アーチは固定されて完成するので、必要不可欠な存在と言えます。

 聖書の時代のパレスチナでは、「隅の石」もしくは「要石」とは、家の四隅に据えられ、建物の土台となる礎石を指します。「隅の親石」とは、その礎石のことではなくて、建築の最終段階において四隅を固定するために置かれる石を指すのだそうです。つまり、詩編に登場する「隅の親石」とは、礎石にも親石にも使えないと捨てられた石が、実は建築物の土台を支える重要な役割を果たしていた、という話なのです。その詩編の響きを、イスラエルの民は、民族を支える神様のみ業として受け止め、キリスト者は、すべての人の救いのみ業として聞いたのです。神様のみ業の不思議を思います。

(中沢譲)