牧師室より

先週は聖霊降臨日礼拝であった。そのこともあり、聖霊に関する書が何か残っていないかと、牧師室の書棚を眺めていた。前任の教会を担任していた時に、手持ちの書籍は殆ど処分してしまったので、探すほどの量はない。1冊だけ目にとまった本があった。

『聖霊に禁じられて−使徒行伝を読み直す』(宗像基著、今日の話題社、2001年)だ。小平学園教会の元牧師であった故宗像基牧師の著作である(実は処分してしまった中にも同じ書があった)。宗像牧師が亡くなられたと聞いて、処分したことを後悔していたのだが、今年のバザーの「残りのもの」の中に発見し、聖霊の導きによる再会だと感謝して持ち帰り、牧師室の書棚に加えていた。

宗像基牧師は、教団の靖国関連の委員をされていたこともあり、交流があった。教団の印刷機で印刷したばかりのホットな個人紙『バベル』を、いつも私は最初にいただく恵みに与っていたが、『聖霊に禁じられて』は、その『バベル』に連載していたものをまとめたものだ。

ちなみに宗像基牧師は2004年の平和聖日の講師としてお呼びしているので、ご記憶の方もあるかと思う。彼はブラジルのサンパウロ福音教会の創設者でもあり、その意味でも当教会とご縁のある方である。

宗像基牧師は、海軍時代からのキリスト者で、特攻隊(特殊潜航艇の艇長)の生き残りでもあり、戦後はブラジルに宣教師として遣わされた。ブラジルでは軍政批判をした容疑で息子さんが逮捕され、自由に語ることが厳しい状況の中で、福音を宣べ伝えるという経験もされている。

その体験が、「使徒行伝」(使徒言行録)の読みに、独特な豊かさを与えている。たとえば、「フィリポがサマリア地方に伝道して成功を収めると、エルサレムからペトロたちが乗り込んできて、最初の正当争い……フィリポは追い出されてしまった。」(p7374)ある。エルサレム教会による、成果の横取りがあったと指摘しているのだ。困難な状況の中で宣教したフィリポの姿を、ご自分に重ねておられたのだろう。宣教の厳しさを知るが故に、本のタイトルは「聖霊に導かれて」ではなく、「聖霊に禁じられて」としたとある。

本書から「聖霊の導き」だと、安易に語れない厳しさを教えられた。教会図書にもある。   (中沢譲)