牧師室より

 最近、中年ということを自分のこととして自覚させられます。日本語の中年には、若年あるいは青年と老年との間にある年齢層という意味があると思いますが、いったい何歳ぐらいのことをさすのか、定義は諸説あるようです。英語でこれに相当するのはミドル・エイジという言葉でしょうが、これは40歳から60歳を意味することが多いようです。わたしが中年と自覚するのは、教会に元教え子が子どもを連れて訪ねてきたりすると、自分より若い二つの世代を意識し、一方で、人生の先輩がたから親の介護についてお聞きすることもあるので、自分より上にも二つの世代を意識するからです。

 学生時代から、ビリー・ジョエルを聴いてきました。ビリーは、自分が40歳になって中年を意識し、これからの時代に不安を持つ20の若者との対話に刺激されて“We Didn’t Start The Fire”という曲をつくりました。「その火は、俺たちがつけたんじゃない」というような題です(なぜか邦題は、「ハートにファイア」という意味不明のもの)。歌詞は、非常にユニークです。ビリーが生まれた1949年からの年ごとに、米国で生きて来た彼にとっての事件や話題の人の名がただただ羅列してあるのです。例えば1961年なら、「ヘミングウェイ、アイヒマン、『異星の客』、ディラン、ベルリン、ピッグス湾への侵略」と歌われています。そして、区切りごとの繰り返しで、「その火は俺たちがつけたんじゃない。それはいつも燃えていたんだ。世界が回り始めた時からね」と歌われます。そして、「その火を点したのは俺たちじゃない。だけどそれと戦おうとしてきたんだ」と続くのです。この最後の一行に、世の中なんてまあそんなものだというシニシズムとも、どうでもいい勝手にすればというニヒリズムとも距離を置いた、中年のありようを教えられる気がしています。自分(たち)が始めたことでなくても、担わなくてはならないものがあるのが中年かな、と思ったりするわけです。完全に鎮火するとは思えない火でも消し続けることには意味があるとビリーは若者に教えているように感じます。聖霊という別の火を身に受けて、世の危うい火を消す業に参与したいものです。(文中の日本語歌詞は私訳です。)(中沢麻貴)