牧師室より

 「母の日」の由来は1908年にアメリカのウエストヴァージニア州に住むアンナ・ジャービスが、自分の属するメソジスト教会で1905年に亡くなった母の記念会を催し、その際に白いカーネーションを配ったことにあるとされる。それゆえ、英語の「母の日」は、Mothers’ Day(母たちの日) ではなくMother’s Day と綴る。

 アンナの母アン・リーブス・ジャービスは、社会運動家、平和活動家であった。南北戦争以前から乳児死亡率低減をめざす社会活動を行っていたが、南北戦争中は、傷病兵の看護を、敵味方の区別なくすることを宣言して実行した。戦後は、「母の友情の日Mother’s Friendship Day」と称するイベントを行って、かつての敵同士がピクニックや会食をして和解するよう努める活動を行ったりした。婦人参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や息子を戦場に送ることを拒否する「母の日宣言Mother’s Day Proclamation」を1870年に発表したのも、アンの活動に触発されてのことだったとされる。

 アンの娘アンナも、母に負けぬ闘志の持ち主だったらしい。彼女の「母の日」は、やがて母親に感謝する日として全米に広まり、国民の祝日にも制定された。母の日カードや様々なギフトの商戦が盛んになっていった。アンナ・ジャービスは、そうした商業主義には、一貫して反対していたようである。カードは買わずに手作りで、ギフトより訪問を、と訴えた。ついには、「アメリカ兵の母の会」という団体が、資金作りにカーネーション販売をする場に出向き、抗議活動をして逮捕されたこともある。その後も、母の日の商業化に反対し続けた。

 アンとアンナは、常に教会と共にあった。信仰が彼女たちの行動を支えた。家族の絆が、平和を実現する足場となり、世の風潮に流されない勇気の基となっていた彼女たちのありように学びたい。  (中沢麻貴)