牧師室より

東方正教会に属するギリシャの村々では、受難に関わる出来事を、村人が“実演”する習慣があるそうです。人々は花で飾られたイエスの墓碑を掲げ、嘆きながら村中を練り歩き、“聖週間”(受難週)を過ごします。村そのものが受難劇の舞台となるのです。そしてイースター当日の深夜に、灯火を携えた司祭が礼拝堂から出てきて、待ち構えていた村人たちに向かって、“イエスが復活された”と宣言するのが、典型的な復活日の行事のようです。イコン画の伝統を持つ東方正教会らしい、視覚的な教会行事と言えるでしょう。

 こうしたギリシャの村々での受難劇は、新約聖書の表現に忠実であると言えます。イエスの死・埋葬・復活の主の顕現が表現されており、かつ主の復活の生々しい場面が再現されていないという点においても、聖書に忠実であると言えます。

 イエスの復活を、詳細に報告しているのはマタイ福音書です。マタイでは番兵たちの存在を通してその出来事を伝えています。しかし、残念なことに、地震が生じたこと、天使が降って墓石を転がしたこと、そして「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」と報告するだけで終わっています。番兵たちは、貴重な目撃証人であったはずなのですが、彼らの証言は報告されていません。

 イエス復活の場面についての最古の報告は、「ペトロ福音書」(新約聖書外典)にあります。「そして、兵士たちは天が開き、光輝く二人の男が降りてきて墓に近寄るのを見た。すると、墓の扉のところに置いてあった石が自ら脇へ転がった。そして、墓は開き、その若い男たちは二人とも中へ入って行った……今度は墓から三人の男が出て来るのを見た……百人隊長たちはピラトのもとへと夜の中を急ぎ……『あの男は本当に神の子でした』と言った」とあります。

 数ある復活証言の一つとして、「ペトロ福音書」の報告は採用されませんでした。主の復活の出来事は、聖霊に導かれて、信仰的に受け止めるべき事柄であるとしてきたのが、キリスト教信仰の歩みであったことを、知らされます。

(中沢譲)