牧師室より

かなり以前のことになるが、『デザインの20世紀』(柏木博著 1992年)という本を面白く読み、非常に教えられた。

 20世紀のデザインは、生活様式のありかたの理想を模索し、それを表現しようとしたり、より優れた機能性を追求したり、ということとは別に、大量生産大量消費のための商品の規格化に利用されていく傾向が見られるようになる。流線型が流行れば流線型に、水玉模様が流行れば水玉模様に、家電も文房具も衣服も外装が流行を反映したものになっていく。例えばトースターなら、外観が流線型でも、可愛い水玉模様でも、パンが焼けるという機能についての進化が無くても、刹那(せつな)的に時代の雰囲気を反映した見た目のものが皆に好まれて買われていくので、外側だけのモデルチェンジで大量生産されたものが、新商品として売り出される。20世紀の社会は、そうした風潮の中で、近代的な平等の感性と全体主義としてのファシズムの両方を育てる。この本から私はそのように学んだ。みんなが何かを選べることの危うさは、提示された選択肢から、重みがどんどん失われていくことにある気がする。

 最近、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(湯浅誠著 2012年)を読み始めた。著者は、ぱっとしない政治情勢を一新してしまいたくなる心理を、「ガラガラポン欲求」と呼ぶ。そこには、待てない消費者心理のようなものがあるという。そして、一商品とは異なる政治・社会システムを、一商品と同じ見方で見てしまうその心理には、人々の生命と暮らしへの軽視が潜むと警鐘を鳴らしている。そして、最善を求めようとする熱心さと同じくらい最悪を回避することに注力する必要があると説く。

 期日前投票をするほどには、何も選べないまま今日になった。夕刻には投票に行く。最悪を回避するには、投票以外に何ができるかを、しきりに考えている。    (中沢麻貴)