牧師室より

この一週間、常にメディアは、「『イスラム国』による邦人人質事件」のことについて報じている。それに接していると、心がとても苦しくなる。

 世の中は、正しいことと、正しくないこととを見極めようとする意見であふれている。けれども、その塗り分けによって安心を得ようとする雰囲気が、苦しさを増加させる。

 少しだけ知ることができた後藤健二さんの働きは、私自身が高校生の時に、ネパールで出会った岩村昇医師から教えられたことを思い起こさせる。

岩村先生から教えられた二つのこと。先生のサポートで教育の機会を得た、出身部族も階層も様々な子どもたちを、同世代として紹介された後、私たち日本の子どもが命じられたのは、どの子とも分け隔てなく友人としてふるまいなさい、ということ。この国の子どもたちの間には、貧富や出身カーストや民族の違いによって、差別や反目があるけれど、そうしたことに無頓着に仲良くなることができることを見せるのが、君たちの役目だと。いじめや差別のある学校生活を日本で経験している自分にとって、それは日本を離れているところからの、ある種のやり直しを迫られる経験だった。もうひとつ教えられたのは、自国民が国教以外の宗教に改宗することを禁じている国で、異教徒としてふるまうことには、注意深さが必要であるということ。君たちは、外国に去ってしまう人間だから何をしても咎められないけれど、君たちと親しく行動を共にしたこの人たちに、やがて危険が及ぶような行為を注意深く避けなさいと。子どもだった自分が突き付けられた、二つの難題。そうしたことに対処する作法を、きちんとわきまえて仕事をする大人としての後藤さんを、私は思い浮かべる。武器をもたぬ多くの人が、命の危険にさらされながら生きる場所で、彼もまた、武器をもたずに生きのびるやり方で、そこに生きる人々に寄り添い、注意深く仕事をしてこられたのを感じる。敬意を持って、これからも後藤さんの言葉に耳を傾け続けたい。

        (中沢麻貴)