牧師室より

最近、「クリぼっち」という言葉を知りました。クリスマスをひとりぼっちで過ごす人を意味するそうです。クリスマスを一緒に過ごす家族やパートナーがいないことは、寂しくみじめなことだという認識が込められた表現なのだとか。二年ほど前から若者の間で使われ始めたようです。

 同じく二年ほど前、一冊の本を知りました。『ひとりじゃないよ』という題名の、絵本のような大きさの本です。でも、内容はそれほど子ども向けでもありません。クアレックというカナダ人画家の絵に、星野正興さんという牧師が言葉を付けた本です。星野牧師は、私の神学校時代の恩師で、今は伊豆の松崎教会におられます。共に冬の畑で麦踏みをしたことをなつかしく思い出します。二年前天に召された父の遺品中に、この本があり、いろいろなつかしく思いながら開きました。

 最初の絵は、牧場で牛の群れを、馬に乗ったカウ・ボーイが御している図です。手前に干し草小屋があり、その羽目板の隙間から男の子が中をのぞいています。その視線の先、小屋内にうずたかく積まれた干し草の片隅には、赤ん坊を抱いた女性。絵の題名は、「カウ・ボーイのクリスマス」。星野牧師が絵に付けた言葉は、「おやっ? こんなところに誰かいるぞ。誰だろう。一緒に遊ばないかな。僕も一人なんだ」。絵の中の赤ん坊と母親の頭には、とても控え目な細い線が、放射状にかすかに描きこまれています。以後、長距離トラックが往来する田舎の雪道の脇にある小屋や、凍てついた川のほとりの茂みの中で野宿する人のそばや、教会のシェルターで食事するホームレスの人々の間に、ひっそりと親子の姿が描きこまれている絵が続きます。そして、一枚一枚の絵には、星野牧師の短い言葉と、見開きページには短いエッセイがあります。

 クアレックの絵は、どれも空気の寒々とした感じが伝わってくるようで、親子の頭上の輝きに、それをはね返す力はありません。でも、ひっそりと誰かと共にいる赤子の姿に、惹かれるものがあります。

 「クリぼっち」な感じを持ったら、そっと見回すと、その子が近くにいるかもしれません。   (中沢麻貴)