牧師室より

ニュースで、「ウクライナ情勢」や「パレスチナ問題」が取り上げられると、民族問題を抱えている地域は大変だな、という感想がうかつにも心に浮かんだりします。複数の民族がひとつの地域に暮らしている状況を、他人事としてとらえている自分に気づき、はっとさせられます。

 今現在、もし海外旅行するなら、私と同じ日本国のパスポートを持って出かけるにしても、私とは異なる、ウチナーンチュとして沖縄にルーツをもつ自覚を抱いている人もいるし、アイヌ民族という別の自覚を抱いている人もいます。国籍の仕組みにおいて痛々しい分断を被っている、朝鮮半島にルーツを持つ人々とも私たちは共に暮らしています。日本だって、言葉や文化、生活習慣、顔立ち…様々な違いを内包した多民族国家なのです。「民族問題」を他人事と感じるとき、私はそれをうっかり忘れてしまっているわけで、それは自分が多数派に属していることを反映した傲慢なのです。5日に神奈川教区が開催した「合同のとらえなおしを知っていますか」と題された協議会で、沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同の歴史を勉強しなおしました。主題内容については、重要すぎて、この紙幅では紹介しきれませんので別の機会に譲ります。ひとつだけ、発題者の平良愛香牧師が紹介してくださったエピソードを。

 沖縄の楽器として良く知られている三線(さんしん)。沖縄出身でない人から、それを「蛇皮線」あるいは「蛇味線」と呼ばれると、納得のいかない悲しい気持ちになることがあるそうです。なぜなら、三線は、三味線(しゃみせん)のルーツだからです。中国の三弦が琉球に伝わり宮廷音楽を奏でる三線となり、それが16世紀に琉球貿易で泉州の堺に伝来、三味線となっていきました。三味線を基準にして、「沖縄のは皮が蛇だから蛇味線、中国にも中華三味線がある…」なんて言うのは、歴史を踏まえていない認識の表れで、失礼ですね。多数派の傲慢に陥らないよう心したいです。  (中沢麻貴)