牧師室より

〈聖書の中の女性たち〉その1

旧新約聖書には、さまざまな女性たちが登場します。その女性たちについて考察してみたいと思います。

エバ:聖書に最初に登場する女性。アダムの伴侶として創造されたとあります。彼らは食べ物も豊富なエデンの園で、何の不自由もない生活を送っていました。夫婦の仲もよく、神様とも家族のようなつきあいをしていて、悲しみも苦しみもない日々が続いていたのだと思われます。ところがある日、ヘビがエバにささやきます。「神さまは隠しているが、その実を食べれば、善悪を知ることができるようになる」と。誘惑者はエバに禁断の果実を食べるように勧めたのです。おそらく彼女は、誘惑者のささやきを理解することができなかったでしょう。しかし興味を持ったのです。すべてが完璧な世界にあって、「悪」を知ることに興味を抱いたのです。そこで彼女は、その実を食べ、アダムにも勧めました。その結果、何が生じたのでしょうか。エバが期待したような愉悦はありません。たしかに彼らは知を得ました。自分たちが裸であり、それを恥ずかしいと感じたこと。禁断の実を食べてしまった罪悪感にさいなまれたこと。そしてその責任を相手のせいにしたこと。つまり彼らは羞恥心、罪悪感、そして争いを知ったのです。おそらく最初に禁断の実を食べたのは、ヘビなのでしょう。そして事件のきっかけとなったのです。それゆえに物語の読者たちは、この事件の責任を、ヘビやエバに押しつけることが多かったように聞きます。しかし私は、「好奇心」こそが事件の真相であるように思うのです。「好奇心は猫を殺す」というイギリスの諺がありますが、最初の好奇心の犠牲者は、ヘビとエバたちであったと言えます。

 楽園追放後、エバはカインとアベルという二人の息子を与えられますが、アベルは死に、カインは追放されました。神様は、悲しむ母エバのために、息子セトを新たに与え、彼女を慰められたのです。

イエスの母マリア:聖書の登場人物の中でもっとも有名な女性。ヨセフと婚約中に、メシアを身籠もるとの預言を、天使から伝えられます。天使の言葉に、心騒いだはずです。しかし彼女は、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えました。さて、たいへんです。「婚約者のヨセフになんて説明しよう。親族や近所の人たちはどう思うだろうか。私自身、これからどうなっちゃうのだろう」と。当然、将来に対する不安を抱えたことでしょう。にもかかわらず彼女は、天使の言葉を受け入れ、前に進もうとします。そんなマリアを、神様は、しっかりとサポートされました。バプテスマのヨハネを身籠もった従姉妹エリサベトを通して、マリアに祝福のメッセージを贈るのです。それ以降、マリアはたびたび試練の中に置かれますが、その都度、神様は彼女を導き、慰めを与えられます。十字架上の主イエスは、最愛の弟子に、遺されることになるだろう母マリアを託しました。また弟子たちに聖霊が降る場面では、弟子たちと共に祈りの生活をおくるマリアの姿がありました。彼女の人生は困難に満ちたものでしたが、神様の召しに対していつも従順でした。その信仰を見つめておられたがゆえに、神様はマリアを捨て置かず、彼女と共に歩まれ、導かれたのです。   (中沢譲)