牧師室より

日本基督教団では、8月の第1日曜日を「平和聖日」と定めています。69年前、日本がポツダム宣言を受け入れ、「玉音放送」が流されたのが8月であったので、この暦を8月に定めたのでしょう。降伏文書への調印は92日です。

教団が「平和聖日」を定めた意図は、「戦争はもうこりごり」というような被害者的視点からではなく、日本基督教団が戦争協力のための教団として誕生し、積極的に戦争に協力してきたことへの反省として、この日を定めたという点に注目したいと思います。なぜならば、そこには二度と戦争協力教団にはならないという決意が見られるからです。そして今日、残念ながら私たちは、その時の決意を思い起こさなくてはならない場に立たされつつあります。

本日は、会津放射能情報センターの片岡輝美氏を通して、今、私たちの社会が直面している問題について考える時を与えられています。そこで提起される問題を真摯に受け止めたいと思います。原発の問題は、多岐にわたる問題を孕んでいます。地球規模での自然環境の問題だけではありません。今回のような事故後の除染作業にも、通常の原発の稼働にも、被曝を伴う労働が必要とされています。「集団的自衛権」の問題同様に、命の危険を伴う場所に誰かを立たせ、犠牲を強いることで成立するシステムなのです。子どもたちの健康、食の問題、汚染されたゴミ処理の問題なども、人の未来に関わる重要な問題です。また故郷に帰りたくても帰れない人たちが、そのままにされているという“棄民”の問題もあります。すべてを棚に上げて、原発を再稼働したり、新規建設をすることなど、もってのほかです。この問題もまた平和の問題であり、私たち自身の責任の問題です。(中沢譲)