牧師室より

「安倍内閣が集団的自衛権行使を認めた71日は、日本の立憲主義の歴史において、最も不名誉な日として残るだろう」(三浦俊章 論説委員「日本はどこへ」、『朝日新聞』、201472日朝刊)。

私には長年、疑問に思ってきたことがある。一つは、かつての日本が、どのようにして侵略戦争にのめり込んでいったのかということである。1910年代〜1920年代にかけて、日本は大正デモクラシーと呼ばれる、民主主義的な、または自由主義的と呼ばれる風潮の中にあったと言われる。だとするならば、いったいどのようにして、国民が戦争に動員されていったかと疑問に思ってきたのである。ちなみに、日本基督教団も戦争協力として誕生したのであり、この問題と無関係ではない。そしてもう一つ疑問があった。敗戦の時、国民は自分自身の姿を、どのように見つめたのだろうかという点である。戦争に追随したことを反省し、民主主義に希望を抱いた人たちがいたことは知っている。しかし、多くの国民の意識はどうだったのだろうかと疑問を抱いたのである。手のひらを返したように、戦争した相手の品々を「舶来品」と呼び、米国文化をあこがれとして受け入れてきたと、私は戦後史を見つめてきたからである。

目が覚めたのは、3年前の311日からの出来事。原発に反対してこなかった私は、かつての戦争を容認してしまった国民と同じように、未来から責任を追及される立場になったことに気づかされ、そして動揺した。未来の若者たちは、なぜあの時、あの時代の人たちは、原発に反対しなかったのかと、私がそうであったように、怒りを向けることだろう。   

そして今回の集団的自衛権行使容認の閣議決定。もはや「大正デモクラシー」で自由を謳歌した人たちは、どこに消えたのかと、責任を追及することもできなくなった。

長年の疑問は、一瞬にして私自身の責任となり、罪となってしまったと感じている。日本が立憲主義国家を放棄した苦々しい記念日として、311日と並び、71日という日は記憶されることになるだろう。冒頭の論説委員の言葉は、私自身の思いでもある。

(中沢譲)