牧師室より

レミヤ書3131節から34節までの御言葉は旧約聖書の中で最も深い信仰、思想が語られていると、私は思っている。エレミヤは(南)ユダ・エルサレムが崩壊していく様を目の前で見た。国が崩壊していく時、恐怖と不安に襲われ、力ある者は無謀な収奪に走り、弱い者は無碍に投げ捨てられていく。罪が生み出す地獄と化す。「神を信じ、隣人を愛せよ」などという律法は全く通用しない。エレミヤは、乱れ切った世を見た絶望の中から「新しい契約」を血を吐くように、神にかけて望んだ。

シナイ山で神から与えられた「律法」の遵守を誓約して交わした旧い契約は完全に破られた。国家滅亡を前にして、荒廃した民は律法をもはや守り得ない。

エレミヤが望んだ「新しい契約」は外側から強制される律法ではなく、胸の中に授け、心に記された律法である。内側に置かれた律法だから「主を知れ」という必要がないほど、神と人は一つに結び合っている。この「新しい契約」は神が人間の悪を赦し、罪を心に留めないことによって成り立つ。悪と罪が一方的に赦されていくところでのみ、人間は生きる場を確保することができる。エレミヤは、人間とこの世に絶望し、神による無償の赦しという「新しい契約」が立てられる日を望んで、この御言葉を書き残した。

イエス・キリストは最後の晩餐でエレミヤの「新しい契約」の成就者としてのご自分を現している。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」と語られ、十字架によって、人間の罪が赦され、神と結び合うと宣言している。エレミヤが血を吐くようにして望んだ「新しい契約」はイエス・キリストにおいて実現、成就した。キリスト教信仰は一方的、無償の十字架の赦しに集約される。赦しとは、どんなにダメな私でも、神は「よし」として受け入れてくださるという恵みである。