牧師室より

福島市で梨と米を栽培しているA.I氏をお迎えして、講演会を持った。教会員がグループを作って、今まで3回、被災地の訪問をした。3回ともA氏宅を訪ねた。印象深い話を聞けたので、教会でもお話していただきたいとお招きした。「原発事故に負けない」と題して話された。

被災直後の混乱から話し始められた。不安と恐怖は、体験した者でなければ分からないだろうと思った。少し落ち着くと、心配した人々から多くの物資が送られてきた。ところが、送られてくる物と必要な物が食い違い、物資の配分と配達に苦労された。心優しい人々からの贈物であるから、嬉しいが、戸惑いもあったようだ。必要とされる所に、必要な物が届くためには、正確な情報はなければならないだろう。

その後、三世代が同居し、経営しているA農園の歩みについて語られた。米は作っていいのか分からない中、作付けした。梨の木の皮を削り、農園の地表を削って除染した。大変な労働であった。お陰で、放射能の線量は基準以下に抑えられ、実りがあったという。

しかし、ここで生きていいのか、米や梨を栽培して、売っていいのかと迷い続けた。色々な講演を聴き、本を読み、ある時は失望させられ、ある時は喜んだ。また、子どもたちの健康に不安を感じてきたという。A氏の心の動揺が痛いように伝わってきた。「原発さえなければ」という言葉を今更ながら、思い返す。

ご家族は、力を出し合い、近隣の人々と協力し合い、エネルギッシュに農園の再生に向かっている。大きな苦労と深い迷いがあるのだろうが、それを乗り越えようとする強靭さと陽気さに敬服する。

被災者たちへの行政と東電の、対応と補償の無責任に怒りを覚える。福島県の子どもたちの健康管理には万全を期してほしい。情報が錯綜し、真偽のほどが判別しにくいが、まず「脱原発」を決意し、そこから再生を模索すべきではないか。被災者たちの生々しい苦悩の声を受けとめ、痛みを分かち合っていきたい。